- 【ゴールデンカムイ】不死身の杉元と舩坂さん 超人的な身体能力と、意外な祖父との共通点【雑感】
- ゴールデンカムイの杉元さん──生き抜く男の姿
- ゴールデンカムイの杉元さんにはモデルが複数いた
- 不死身の分隊長・舩坂弘さんとは?
- “強さ”の別の形──百発百中の狙撃兵・シモ・ヘイヘ
- 祖父と舩坂さんの共通点
- 祖父のトラウマと本当の強さ
- 生きるとは
- まとめ
【ゴールデンカムイ】不死身の杉元と舩坂さん 超人的な身体能力と、意外な祖父との共通点【雑感】
戦後80年が過ぎ、当時を知る人が少なくなってきました。
しかし今、世界ではウクライナやガザなどで戦火が広がり、
「戦争とは何か」「生きるとはどういうことか」を考えさせられる機会が増えています。
朝ドラや映画、漫画などでも戦争をテーマにした作品が目立ち、
軍人の妻や家族の視点で描かれる物語がメディア化されるようになりました。
そうした作品に触れるたびに、
私はあらためて「強さ」や「生きる意味」について考えさせられます。
妻視点の漫画など
そのきっかけになった一つが、
人気作品『ゴールデンカムイ』の主人公 杉元佐一さんです。
ゴールデンカムイは大人気でまだまだアニメも続いていますね!原作は終わりましたが、まだ世界的に人気も継続中!
特に北海道のことや、アイヌの文化を知ることができて貴重な資料の意味合いもある漫画です。
さて、今回はたまたま杉元さんについて調べてみたら、意外な祖父との共通点があったことから、それをAIのまるちゃんと語っていました。
それをまとめて記事にしてみます。
ゴールデンカムイの杉元さん──生き抜く男の姿
杉元佐一さんは、日露戦争の激戦・203高地を生き延びた元陸軍兵士で、
仲間から 「不死身の杉元」 と呼ばれる存在です。
外見は粗野で乱暴に見える一方で、
根底には 深い優しさと正義感があります。
自分のためではなく、大切な人のために生き抜く強さを持つ人物です。
戦後の北海道と樺太を舞台に、
アイヌの少女アシリパさんと共に金塊争奪戦に身を投じます。
彼の行動原理は、
“生きて帰る”“守りたい人の未来のために生き続ける” という意思です。
ゴールデンカムイの杉元さんにはモデルが複数いた
杉元さんには複数の実在人物がモデルとして存在していたと言われています。
その中でも特に名前が挙がるのが、
「不死身の分隊長」舩坂弘(ふなさか ひろし)さんです。
不死身の分隊長・舩坂弘さんとは?
舩坂弘さんは、
1920年10月30日、栃木県上都賀郡西方村の農家の三男として誕生しました。
幼い頃から活発で、近所のガキ大将として育ちました。
1941年に宇都宮第36部隊へ入隊し、満洲で国境警備隊として活動しました。
剣道や銃剣術、射撃に優れ、入隊以来30回以上の賞状と感状を受け、
銃剣術と射撃の両方で徽章を授与された唯一の兵士として知られていました。
その後南方へ出征し、
アンガウル島の戦いで伝説となります。
左大腿部裂傷、腹部貫通銃創を含む
24箇所もの傷を負いながら戦い続け、米兵200人以上を倒したとされています。
包帯代わりに 日章旗で足を縛り止血し、夜を徹して這って部隊へ戻った 逸話は有名です。
米軍指揮所に単身突入を試み、
戦死と判断されながらも奇跡の生還を果たしました。
米軍は彼を
「Bravest Soldier(最も勇敢な兵士)」
と称えました。
戦後は渋谷で 大盛堂書店 を開業し、
慰霊碑の建立活動を続け、「生きている英霊」と呼ばれました。
“強さ”の別の形──百発百中の狙撃兵・シモ・ヘイヘ
フィンランドの狙撃兵 シモ・ヘイヘは、冬戦争の中で数百人の兵士を狙撃し、
「白い死神」と呼ばれました。
しかし、彼はもともと自然を愛する 猟師でした。
銃の技術は、
本来なら 生活のために必要な分だけ獲物を狩る技術だったはずです。
戦争が始まったことで、その技術は
「人を殺す力」へと変換されてしまいました。
戦後、彼はめったに語らず、英雄扱いされることも望まなかったといいます。
きっと彼は思ったのではないでしょうか。
“人を殺す才能なんて、本当は知らなくてよかった”
戦争が、その才能を
必要以上に引きずり出してしまった。
その事実は、強さと同時に 深い悲劇だと思います。
祖父と舩坂さんの共通点
舩坂さんが栃木県の農家出身と知ったとき、
私は父方の祖父のことを思い出しました。
祖父もまた栃木県の農家に生まれ、
南方へ出征した人物でした。
記事によると
テレビ局として初めてがパラオ南端のアンガウル島を取材し、太平洋戦争末期の激戦の記憶をたどった。
宇都宮に拠点を持ち、栃木県民が多く所属した旧日本陸軍・歩兵第59連隊の(判定された上位30パーセントほどのいわゆる「甲種合格者」)第1大隊が1944年に同島へ転戦。兵力差20倍の中でほとんどが戦死し、生還者は約50人のみだった。
その一人、栃木県出身の舩坂弘軍曹は重傷を負いながら戦い抜き、戦後は渋谷で大盛堂書店を創業し、体験を伝え続けた。
現在も島には慰霊碑が残り、戦争の現実を知り、未来へ語り継ぐことが求められている。
【戦後80年】宇都宮から南洋へ アンガウル島の記憶をたどる−NEWS - とちテレ
農家の生活は毎日が体力勝負で、
鍛えるというより 生きるために体が鍛えられていく生活です。
祖父も甲種合格者で南方へ行ってマラリアにかかったそうです。
私の父も驚くほど体が強い人です。
弟もサラリーマンをしていますが、まあガタイはいい方ですが圧倒的に父に負けるといいます。
そのはず、父は昔のサラリーマンの典型で朝早くから働き、残業をして帰りに飲み。
そして午前様でかえってきてまた朝働く、みたいな無茶な働き方をしてもぴんぴんしていたのですよね…
しかし父は
「体力では親父に全く敵わなかった」
と話していました。
その言葉を聞き、昔の人の強さをあらためて実感しました。
祖父は馬にものれて、軍関係で馬の職についたりしたり、体力もあったので屈強な兵だったのかなと思いました。
また、祖父の地域はとても不便な土地で学校に通うのも徒歩や自転車。
小学生のころから何キロも歩くのは当たり前、自然が友達。
川魚を釣ったりとかなり自然に囲まれた環境だったと聞いています。
舩坂さんの超人的な体力は、そのさらに上を行くものであったのでしょう。
戦争がなければ、体力たすごいただの剣道が強いお兄さんで終わったのかなと思います。
また、船坂さんの超人的な能力、大谷選手とどっちが上だったのだろうか…
ともふと思いました。人類でもすさまじい遺伝子の強さですよね。
田舎での不便の生活だからこそ、戦争に耐えうる体が作られたのはなんか悲しいなとも思います。
祖父のトラウマと本当の強さ
祖父は戦争について多くを語りませんでした。
夜中にうなされたと聞いたことがあります。
それでも、祖父は家族に手をあげたことはありませんでした。
戦争から帰ると人格がかわったり、精神を病んだりした人も多かったそうですが、祖父はただただ語ることなくじっと沈黙していたそうです。
父も祖父に怒られることもなく、穏やかな人だったということです。
残念ながら私がうまれる前に事故で亡くなってしまったため、祖父と会ったことはありませんが、写真ではとても穏やかそうな人でした。
生きるとは
杉元さんもそうですが、生きるとはどういうことなのか。
改めて考えさせられます。
私にとっての答えは、
強さとは、生きて愛する人のもとに帰ること
強さとは、故郷に帰ること
倒れないことではなく、
傷を抱え、それでも
生きようと選ぶことだと思いました。
杉元さんも、舩坂さんも、シモ・ヘイヘも、祖父も、
根底には同じ精神があったように感じます。
今、こうやって穏やかな毎日があるのは、先人の人が辛い思いをしてくれたのだなと思います。
祖父や船坂さんも、こういった穏やかな生活が続くことを願っているだろうなと感じます。
まとめ
ふとしたことで、不死身の分隊長のことを調べたことで、祖父との意外な共通点があり父と会話したことをまとめました。
本当なら普通のお兄さんがおじいさんになって、そんなすさまじい日常を経験することなく人生が終わっていく。
それがどんなに当たり前であっても、当時は貴重だったのか。
この数年、世界的にすさまじい戦争の映像が出てきて、不安な気持ちにもなりますが
やはりそんな辛い思いをしたくないなと感じます。
お気楽にアニメをみて、漫画を読んで感想をブログに書いて楽しむ。
そんな幸せな世界がずっと続くといいなと思います。
追記、2025年の映画「ペリリュー 楽園のゲルニカ」が口コミでヒット中!
舩坂さんも参戦した激戦の舞台は、まさに地獄でした。
#ペリリュー楽園のゲルニカ
— 凜 (@rinnrinnkarinn) 2025年12月11日
観てきました。過激な戦争描写は最初のみで、ほとんどは潜伏した兵士が戦争が終わったのを知らされずにいた話です。
敵兵も味方も家族を守りたい、会いたいという気持ちであるのに矛盾や虚しさに押しつぶされる地獄。ずっと苦しい思いでした。 https://t.co/xBsZm2heE2
#ペリリュー
— 凜 (@rinnrinnkarinn) 2025年12月11日
戦いに参加したのは、水戸歩兵第2連隊がメインらしく今はその連隊跡地が茨城大学に墓地があるようです。
いまだに2500人の遺骨が回収されておらず専門家が派遣されてるそう。
栃木県の59連隊も同時期にアンガウル島で開戦したので、北関東の若い人が南方で亡くなったのだと知りました。
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